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スイコーについて

スイコーヒストリー

創業期

昭和59年に初代社長澤口康幸が休眠会社になっていた泉市水道公認店を買収し澤口美智子と職人1名の3名にて創業しました。創業資金は自己資金と親戚からの借金、運転資金に余裕がないギリギリでの経営そして生活でした。2年目にハウスメーカーの下請け仕事が入るようになり前職での縁により技術者や職人がポツリポツリと入社してきました。3年目に2代目社長になる澤口司が新卒で入社。世の中がバブル期に入って行き、激しい忙しさになりました。

第1成長期

月に休みが3日程度。夜8時に帰れる日は珍しく、午前様になることが頻繁でした。大手ハウスメーカー2社、ビルダー、地元工務店からの戸建住宅と共同住宅の新築工事の下請けをしていたことで、水道局への申請する戸数において仙台市トップ3に入り仙台市市長表彰されるようになりました。(社員職人10名、常用請負職人3班5名)

停滞期

バブル崩壊により、住宅着工件数が激減。下請けの専門業者が余りだし発注価格の切り下げが始まりました。年間労働日数の削減が求められ職人の雇用維持が厳しくなりました。若い職人を育てることについても難しくなりだしたのです。

転換期

ハウスメーカーからの下請け受注を増やすため、専門工事の多角化を進めました。大工工事から始め、やがて総合施工店として下請け受注を行える状況になりました。しかし、そのような動きは下請け協力工事店内の足並みを見出すことになり、風当たりが強まりました。

改革期脱下請けへ

数度の発注価格の切り下げにより経営状況が悪化。受け取り手形の割引も厳しくなり、リストラして経営規模を縮小する(プランA)か、受注先を増やす(プランB)かなどの経営改革が必要になりました。澤口司が社長に就任し、選んだのはプランCのリフォーム事業(当時は増改築・改装と呼ばれていた時代)へ業態転換し脱下請け化の道です。

第2停滞期

リフォーム工事のメニュー型チラシを扱う業者が急増し価格競争が激化。10社から相見積を取るお客様も出てくるようになりました。埼玉県にて悪徳リフォーム業者による事件が発覚し、一般消費者のリフォーム業者へ不信感が高くなったことなどが影響しています。お客様宅訪問や調査、見積積算業務が空振りになるケースが増加し、営業マンの労働時間も比例して増加。お客様よりの信頼を得ることが難しくなり、クレームも増えるようになる。無理な受注により工事品質が劣化する案件も増加しました。
社長澤口司の経営能力不足が招いたことです。

後退期・転換期

2002年、折り込みチラシ依存の集客から脱却することを決断し、徐々に1店舗ずつ閉店し規模を縮小していきました。
同時に社員教育に注力を強めました。定休日の水曜日午前中に「建築士合格必勝勉強会」を開催するなど研修を増やしました。
一級建築士や二級建築士に挑戦する社員が増え、専門学科を卒業していない社員も実務経験を積むことで受験資格を得て二級建築士試験を受験しています。
また、経営理念の策定に取り組み始め、働く悦びを創造する経営へと歩み出しました。

第3成長期

有資格者が増えたことにより、従来からの一般消費者が求める必需リフォーム(水回り設備交換や内装模様替えなど)に加えて、住宅の長寿命化や性能を向上させるリフォームへ取り組むようになりました。そして木造戸建住宅の新築や中古住宅などの不動産売買仲介の事業を営めるようになりました。